初台にfuzkueというカフェがあります。
このカフェ、「本の読める店」というコンセプト。
読書好きなら知ってる人も多いのでは。
(知らない人はお店のHPを見ればどういう場所か全部わかります)
この場所、もう信じられないくらい居心地がいいのですが、なんでかなあと考えてみた結果、「ワガママをかなえてくれる」からかなあという結論に至りました。
「ワガママをかなえてくれる」ルール
fuzkueを読書好きにとって心地よい場所にしている一番の要因は、その注意書き。
それぞれの席の前に掛けてあるメニュー、えぐいくらいに注意書きがあります。
ルールばっかのお店は窮屈なのが普通だけど、fuzkueのルールは全然しんどくない。
それはなぜか?
僕が思うにソノ理由は、そこに書いてあるルールは、「そこにいるみんなが望んでること」であるから。
例えばこの店には読書に集中するために騒音を起こさせないルールがいくつもあって、「おしゃべりは控えて」「パソコンのタイプ音もちょっと控えて」「ペンを走らせるときもできれば気を使って」など、結構ガチガチ。
ただこれらのルールは外で読む派の読書好きは、周囲に対して一度は思ったことがある「ワガママ」なんですね。
ドトールとかでちょっと本を読もうと思っても、周りの音で集中できない。
ただそこで「静かにしてくんないかなあ」と思っても、それはワガママ。俺の読書タイムを邪魔するな!って自分勝手、いえるわけないし。
要するにfuzkueのルールは、僕らが言いたくても言えないワガママを、店主が代表して明言してくれてるんですね。その注意書きは客を縛り付けるものではなく、むしろのびのびとさせてくれるものです。
その注意書き、「自分が望んでいる」のではなく「みんなが望んでいる(そしてそれが自分にもわかる)」ことが重要かなあと思います。
自分にとって都合のいい場所、ではなくここにいるみんなが満足している場所、ルールを通して「いいっすよね…」と無言の会話をしてしまう、店内の人間全員で作り上げる空気がいいんです。
いつまでも居座れるシステム
もう一つ、「いつまででも居座りたい」というワガママもfuzkueではかなえてくれます。ここなら「そろそろ出ないとかな」という気づかいを一切しなくていい。
まず独特な料金システムのおかげでお店の回転率を気にしなくていいのは大きい。
そして予約システムが地味にありがたいなと思っていて、「どうしても入りたきゃこれ使えばいいんですよ!」という手段があるおかげで、混んでるときもほかのお客さんのことを気にしなくていいんですよね。
あとやっぱりfuzkueのお客がどういう人か何となくわかるので、満席で入れなかったお客さんもそんなに不満じゃないんじゃないかなあ、と思えるところもあります(都合いい考えかもだけど)。
仮に自分が入れなくても、「ああここはいま、ずっと本を読みたい人で埋まってるんだなあ」としみじみするんじゃないかなあ、それはみんな同じじゃないかなあ、と思えるんですよね。
好きなことを何でもできる空間
「本を読んでるから静かにしてほしい」「いつまでも店に居座って本を読んでたい」なんて外で本を読む人なら一度は思うことだけど、それを訴えようもんなら、「じゃあ家で読めや」と返されます(この意見、非情に正論)。
でも家じゃ集中できない!読書好きなはずなのに!外で読みたいんじゃ!ああ自分はなんてワガママな人間なんだろう……とここで自覚。
大人になった僕らはワガママを言うことが出来ません。駄々をこねるわけにはいきません。
でもfuzkueはそのワガママが通る。これがその空間が心地いい最大の理由なのではないかなあと思います。大人の僕らが好きなことを何でもできる。何も気にすることがない。そしてここにいるみんなが好きなことを好きなようにしている。この一体感。
この空間は店主の阿久津さんが考え抜いて作ったシステムによるものであり、これに引き寄せられたお客さんによるものです。
こんな場所が増えてほしいなあとつくづく思います。