僕の「読んでよかった本」の基準は、「人に薦めたくなるか」なんですけど、こないだ、久しぶりに読んでよかった本に出会いました。
川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』。
川上未映子さんといえば、『乳と卵』『ヘブン』『すべて真夜中の恋人たち』等、代表作に迷ってしまうスーパー作家です。
僕は2カ月前から川上未映子作品にドはまりして作品ローラーしてたので、彼女の出産・育児エッセイである本作にたどり着きました。
うーん、このテーマは男子大学生向きではないかなぁとおもいつつページを開いたんですが、これは全く違いました。
むしろ男子大学生のような、「出産をする女性」に縁遠い属性である人たちが読むべき本でした。
「川上未映子」の育児エッセイ
出産・育児エッセイは日本に数あれど、『きみは赤ちゃん』にはそれらと一線を画した価値があります。
それは、「川上未映子が書いた育児エッセイ」という価値。
そんなのお前が未映子LOVEなだけやんけ、って感じですが、川上未映子作品を読んだことある人ならわかってくれるんじゃないかなーと思ってます。
まず一つには、芥川賞作家としての洞察力。妊娠経過・出産・育児のテーマに終始せず、それらを足掛かりにしてズブズブっと洞察を深めていきます。
そしてその洞察を伝達する文章力。読み物として単純に面白い、というのはやはりすごいことで、この本を「ママさんの読み物」で終わらせません。乳首マッサージをして9歳の世界に浸る一節は名文でした。
そしてもう一つ、こっちを本当に伝えたいんですが、「川上未映子の育児エッセイ」の価値は彼女の作品集に由来しています。
川上未映子は、様々な作品で「子どもを産むこと」についての考察を残しているんですね。
『乳と卵』には、自分の身体が勝手に女性的に変化していくことに戸惑いを覚える、緑子という少女が登場します。
あたしにのませてなくなった母乳んとこに、ちゃうもんをきって入れてもっかいそれをふくらますんか、産む前に戻すってことなんか、ほんだら生まなんだらよかったやん、お母さんの人生は、あたしを生まなんだらよかったやんか、みんなが生まれてこなかったら、なんも問題はないように思える、うれしいも悲しいも、何もかもがもとからないのだもの。
緑子のような考えは、著者が小説を書き始める前のエッセイ『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』でも触れられています。
しかし私ら僕ら、生まれてくるのに明確な意思が無かったわけで。誰かのリクエストを引き受けて生まれてきたわけではないのであって。気が付いたら自分がおった、これだけ。生まれてくる子も多分それだけ。しかし、私は責任追及されるのが何となく嫌で、ないところにあるものを、わざわざ作るのは私がやらなあかん仕事でもない、ってな風にも思うわけだ。
このように「女性が子供を産む意味」を見出せなかった川上未映子が子供を授かり、産み、育てる。その時の心情を語る。このドキュメンタリーに「なぜ子供を産むのか」という一つの答えを見出せます。(語り手が「川上未映子」という点も偶然にして適役!)
彼女だからこそ、我が子に捧げる「産まれてきてくれてありがとう」は、「陳腐」から突き抜け、鮮やかな色を持ちます。
単なるドタバタ育児エッセイには収まらない本書。これから出産を控える女性、絶賛育児中のママさん、それを共に迎える男性、それぞれの立場で違った読み方ができる本です。