文学部に在学している僕が文学部の授業を体験できる本を紹介しています。
前回の記事では「文芸批評」を学べる本を紹介しました。
今回は「言語学」。僕自身も言語学を専攻しているので、結構面白い言語学本を読んできたのですが、言葉について考えることの楽しさを教えてくれる、素晴らしい本をご紹介します。
タイトルは「言語学の教室」ですが言語学を包括して解説する本というわけではなく、言語学の一分野である「認知言語学」に焦点を絞った本です。
(この本を「文学部みを感じる本」として紹介する理由もここにあります。具体性を持った内容のほうが楽しいポイントをつかめると思うので)
日本を代表する哲学者である野矢茂樹が生徒として、言語学者の西村秀樹に認知言語学の教えを乞うという内容。
新書ですが、会話形式で進んでいくのですごく読みやすいです。
認知言語学とは?
*退屈だったら読み飛ばしていいですここは
では認知言語学とは何でしょう?
まず言語学すら知らねーよって感じなのがほとんどの人だと思いますが。
すごくざっくり解説すると、言語学ではチョムスキーっていう絶対的権威がいて(ニュートンとかアリストテレスとかとガチで肩を並べる人です)、その人の言語に対する考え方が現代の言語観の主流になっているのです。
その考えっていうのは「生成文法」という名前がついていて、人間には生まれつき言語能力が備わっているよって考えです。それで、その能力をすべての言語に通底する「普遍文法」を解明することで明かにしようって感じです。
大事なのは「文法」を「意味」とは切り離していることで、生成文法では言葉の意味はその語意に付随するもの以上のものではありません。
そこに対抗するのが認知言語学です。
要するに、言葉の意味は使い方や状況によって変わってくるでしょ!ってことで、言語を心と結びつけて考えるのが一番の特徴です。
具体例を示せば、
A、太郎は花子に殺された
B、花子は太郎を殺した
の同じ内容を示す文、これが同じ意味を表す、と主張するのが生成文法で、いや違うニュアンスあるでしょってのが認知言語学です。
あなたはどっち派ですか?
認知言語のオモシロポイント
こっからは具体的に認知言語学で扱う面白い話をみていきましょう。
まずは受け身の問題。
日本語の受身形は面白いところがあって、「昨日雨に降られた」という受け身文は能動形に置き換えられないんですね。こういうのを「間接受け身」と呼ぶんですが、次の間接受け身を見てみましょう。
「昨日財布に落ちられた」
これは変ですよね。キモチワルイ。でもなんで気持ち悪いんだろう。
「雨に降られた」と「財布に落ちられた」の違いは何だろう。意外と説明できない。
これが言語学の面白いところです。いつも使っている言葉が分からない。なんて得体のしれないものを扱っているんだろうという気持ちになります。
もうちょっと認知言語学をみていきましょう。
認知言語学で重視される考え方に「プロトタイプ」があります。
これはある語に対する「典型例」のこと。
「鳥」という単語を見て最初にペンギンを思い浮かべる人は少ないでしょう。(百科事典では平等に扱われるのに!)
人間の文化によって形成されたイメージがそれぞれの語にまとわりつき、「中心的意味」と「周縁的意味」を了解しながら使っている。これが認知言語学による言語観。
そうなると「鳥」という語の意味は人や状況によって変わってきます。
例えば焼き鳥屋さんの「鳥」。ハンターの「鳥」。動物園の飼育員の「鳥」。詩人の「鳥」。それぞれの「鳥」が違う中心的意味を持っているのが分かるでしょう。
語の意味が国語辞典に収まらないのがよくわかる例です。
もう一つ、メトニミーをご紹介します。
メトニミーとは例えば「村上春樹を読む」みたいな文のことで、実際読んでいるのは村上春樹が書いた「本」なのに、関連性の高い作者の名前でそれを指すような使い方です。「鍋が煮える」とか「洗濯機が回る」とか。
こうみていくとメトニミーは至る所にあって、「自転車をこぐ」(ペダルをこいでいる!)「ブザーが鳴る」(中の機械がなっている!)「電球が切れる」(電気が切れている!)…
あれ、あれ、今まで自分の使っている言葉はこんなに不安定だったのか。
これを無自覚で使っていることがスゴイですよね。
(メトニミーについては反論が多くあると思います。それでいいと思います)
ここで紹介した話はどれも認知言語学の導入部分で、本書では一流哲学者と言語学者の深い議論からこれらの言語観を潜っていきます。
みんなが扱っていることばに関する学問・言語学。これを楽しむ素質は全員にあると思っています。
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