こんな人にオススメ
- 何となく社会になじめない人
- 自分が世間の少数派だと感じる人
- ひねくれ者の人
真剣なエッセイ
タレントエッセイ、は本のなかでも人気のジャンル。
自分の好きなタレントの考えを知れるのはそれだけで楽しいですが、それ以上にテレビでは見せない彼らのほのぼのした日常はファンにとって価値があります。
タレントエッセイの価値というのは、僕は「脱力感」だと思っています。
ただ、オードリー若林正恭のエッセイ『社会人大学人見知り学部 卒業見込み』はそれらとなんだか毛色が違います。
と、いうのは、若林さんのこのエッセイ、「真剣」なんです。
どう真剣なのか。
ブレイクにより突然社会に放り出された芸人が、社会を真剣に捉えようとする、「社会童貞」の奮闘記。そんな本なんです。
なのでこのエッセイには、脱力感はない。
というか、文章自体は脱力しています。ただ、
「相手の意見を否定する方法が分からない」
「後輩との接し方が分からない」
「“考えすぎ‘’から抜け出せない」
「自分が失恋したのに世界が通常運転なのが受け入れられない」
といった独白はぜんぶ真剣そのもので、何でもなさそうな語り口でありながら、慣れない「社会」について若林さんが本気で考え続けてることが伝わってくるんです。
社会童貞
これは人見知りとはまたちょっと違くて、このエッセイを評する時によく言われる「社会童貞」がピッタリきます。
社会を生きていくために必要なルール、マナー、気遣いや社交辞令。
これらは社会に揉まれながら自然と身につけていくものだと思います。(多少の理不尽を感じたとしても。)
そして、まだ社会に出ていない身分の子供も、そうした処世術の必要性を予期していて、学校や友人関係の場で予行演習をしたりします。
(こんなことを偉そうに書いてる僕も学生の身分ですが、社会人の面倒なあれこれの一部は知識として知っています)
しかし若林さんはそれらを知らずに社会に参加した。全てが新鮮なんです。
そして、全てに疑問を持つ。みんなが「まあ、そんなものか」と素通りしたり、しなかったりするルールに全て引っかかる。ハテナをぶつける(このハテナをぶつける若林さんの行動が「トガってる」「厨二病」としてよくいじられてる訳です)。その奮闘の過程がエッセイとして言語化されている。
これを読んで僕らは「やっぱそうだよな」と共感できたり、「そんなことまで考えんの笑」と面白がったりできるわけです。
参考資料になる本
おそらく、若林さん以外にもそういう人間は多いはず。社会の馴染み方が分からない。見えないルールを把握できない。
そういう人にとってこの奮闘記は、ひとつの参考資料になると思います。同じ症例の人間としてどうもがいて、どう折り合いを付けたのか。
解決するかは分かりませんが、少なくとも「同じ人間がいた」と勇気づけられるのではないでしょうか。
そういう意味でこの本は、ただのタレントエッセイとして埋もれさせるにはもったいない。
若林さんのエッセイは『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』『ナナメの夕暮れ』も含めて評価が高いですが、僕としては数十年単位で読み継がれて欲しい本です。社会に苦しむ誰かの味方になれるように。
できればこの本は、続編の『ナナメの夕暮れ』と一緒に読んでほしい本です。
最後に、文庫本の帯に使われた一節。
この文が、自分に合うかどうかのリトマス紙になるのでは。
そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。