読書に求めるものは何か?
自己の成長。高揚感。感動の涙。
これらもあるけど、「単なる気晴らし」も読書の動機のひとつですよね。
僕が読んできたなかで、気晴らしに一番ふさわしい本。
劇作家・演出家の宮沢章夫さんによるエッセイ集。
エッセイ自体、とても軽く気分転換に適したジャンルではありますが、なかでもこの本は最適。しょうもなさ、ばかばかしさが頭を空っぽにさせてくれます。
有無を言わせぬ思考回路
エッセイっていうのは、「自身の日常について、3~4ページでさらりと書く」という形式が決まってる以上、著者の個性が顕著に表れます。
宮沢さんの個性は、その「頑固な思考回路」。こちらのツッコミが届かないことをいいことに、日常のハテナにたいして彼のオリジナル解釈を暴走させます。
例えば、次のようなエピソード。
「今日から届かず」というタイトルの一編。
自宅の床に放り出された新聞、その一面見出しがちょうど折りたたまれて、歯がゆい思いをします。その見出しはこの一部だけが見えていました。
「届かず」
何がだ。何が届かないというのだ。
あー、こんな感じでツッコミ入れたくなる気持ち、わかります。
ここからが暴走ポイント。
出前か。出前なのか。
は?いやいや、そんなわけなくね?
新聞の一面の見出しに「出前届かず」を見せられても、何を感じればいいんでしょう。
そもそも数多ある「届かないもの」の中で、なぜこの人は「出前」をチョイスしたのか。
しかし、出前が届かないことくらいで、新聞の一面に、見出し付きで記事が載るだろうか。
まあそうですよね。てか、冷静になるんかい。
ただの出前じゃないな。よっぽど数の多い出前だったんだ。五万個はくだらないだろう。そうだ、五万個の出前が届かなかったら社会問題だ。
……何を言ってるんだろう(*^^*)
しかしこちらのツッコミは通じず。相手は本の中なのですから。ずるいもんです。
この本のエッセイは全編通してこんな感じ。謎の思考回路から謎の論理を展開し、「絶対そうだ。そうに違いない」を押し付けてくるんです。
そうなると我々はこう答えるしかない。「はあ、そうですか。」
悔しいけど共感しちゃう
この本を読んでいると、親戚の集まりに必ず一人いる、「自分の話をずっとしてるオッサン」を思い出します。そういう人はほっとけばいいんですが、この本はほっとけない。
なぜなら、しょうもない謎論理にちょいちょい共感してしまうからです。
「カーディガンを着る悪党はいない」
あー、わかる!なぜか!
「自動販売機で千円札を戻されたときの情けなさは何なんだ」
わかるー!なんなんでしょう!
「ペヤングの営業は「ペヤングの木村です」と名刺を渡すのか。恥ずかしくないのか」
わか……いやこれは失礼!
しょうもなさに救われる
しょうもない、はいはいと流したくなるけどなぜかわかってしまう。
この本から学ぶことは何もないけど(本当は沢山あるけど)、落ち込んだ時も、暇すぎるときも、この本を読めばとりあえず時間がつぶせる、ある程度。
宮沢章夫さんのこの本もお勧めです。
追記。
この本の表紙、文庫本なのにニス加工がされているんですね。でこぼこなの、分かりますかね…?
単行本ならともかく、文庫本でここまで表紙に凝るのはそうそうないんですが、よりによってこんなしょうもない本を、、、
という、ムダなこだわりもちょっと好きです。