この本、このタイトル、この表紙。直感しました。
あ、この人、めんどくさい人だ。ネチネチタイプだ。重箱の隅大好きマンだーーーっ!
購入。そういう人好きなんです。
著者はサブカルチャー論でも有名な劇作家・宮沢章夫さん。後に読んだエッセイも面白かったです。
この本は、速読なんてクソ喰らえ、脱線・誤読バンザイ。世の「読書術」本にケンカを売った「読書術」本!うわぁー楽しそう。
11年かけて読む
課題本は横光利一の『機械』。この本の巻末にも『機械』が収録されていますが、せいぜい40ページほどの短編です。これをできるだけ時間をかけて読んでみましたので、感想を書きます。そんな本書。
時間をかけるってどのくらい?
11年と数ヶ月。
うわー極端。でも宮沢章夫のエッセイを読んだ人なら分かりますが、まあこんな人なんです。
著者が11年かけて読んだ『機械』の解釈をまとめたこの本、その年数だけあって、マジで1行1行全てに触れていきます。
クレイジーな解釈
意識していつものペースより遅く読む。
すると、いつもの速度じゃ見えなかったフィクションの背景が見えるんです。あれもこれも気になって、深く掘り下げて、自分の解釈を固めていく。
宮沢さんのこの作業はとても新奇で鋭く、そして楽しそう。
たとえば。
『機械』のなかで、「私」が同僚に暴力をふるわれ、「私はそのままいつまでも倒れていた」と書かれる場面があります。
宮沢章夫さんは「いつまでも」の時間に引っかかるわけです。どのくらいだろう?
本人が言うのだからこれはしょうがない。「いつまでも」は「いつまでも」であって、そう書かれた以上、三日ぐらいは倒れていたと考えるべきだ。
うん?まあ、いや確かに、いや、? ええ?
まあ常識的にはありえない訳ですが、でもそんな読み方をしてはいけないなんてルールはないし。フィクションだし。いやぁでも?
さらにちょっと読み進めれば、「この語り手ちょっとおかしいとこあるし、この人だけ時間軸ズレてんじゃない?」とまでいう始末。もう無茶苦茶だけど、フィクションである以上そう解釈してはいけないなんてことも無くて。
普通の速度で読んでたらこんな「いつまでも」にこだわる事はないけれど、一文字一文字読んでみると気になってくる。今まで読んできた小説のなかにも、きっと見逃した宝石が沢山あるんでしょう。
そして、この本から学んだ大きなことは、「自由によむ」ということ。
「小説の解釈は人それぞれ」なんて言葉はよく聞きますが、それが身に染みた本書でした。「いつまでも寝てたって言ってんだからいつまでも寝てたんだろう」なんて解釈もアリなんだし。
僕にはその解釈はできません。きっとひねくれた著者がノロノロと読んだからこその解釈でしょう。
恐らく、小説を読むということは作者と読者の共同作業なんだと思います。作者が提示した「素材」を、それぞれ異なる経験や価値観、能力を持った読者が噛み砕く。そこに「誤読」なんてものは無い。
もっと自由に小説を読んでもいいのかも。そう感じた一冊でした。